三分文庫

深海の残飯、星屑の嘲笑

深海一万メートルの漆黒。巨大な鉄塊「ネプチューン・アイ」は、その深淵を鈍く光らせながら、静かに航行していた。艦長、辰巳は、モニターに映し出される異常なエネルギー反応を、己の栄達への道標としか見ていなかった。採掘予定地、そこは未知の鉱脈が眠る、まさに金のなる木だ。部下たちの不安な声など、彼の耳には届かない。通信士、佐藤の震え声もまた、ただのノイズに過ぎなかった。「艦長、これは…未知の信号らしきものが…」「くだらんノイズだ。俺の命令を無視する気か、佐藤」辰巳の声は、冷たく、そして威圧的だった。彼の辞書に「躊躇」の文字はない。あるのは「支配」と「利益」だけだ。

その時、ソナーがけたたましい警報を鳴り響かせた。画面に映し出されたのは、深海にはありえないはずの、巨大な金属質の物体。それは、計り知れない速さで「ネプチューン・アイ」に迫っていた。佐藤は悲鳴を上げた。「うわっ、なんだあれは!?」「ほう…これは…」辰巳の目は、獲物を狙う爬虫類のようにギラついた。これは、己の偉業を証明する、神からの贈り物に違いない。そう確信した彼は、事態の深刻さを一切顧みず、むしろこの奇跡を己の出世の踏み台にしようと、歪んだ興奮に身を震わせていた。

それは、円盤状の巨大な宇宙船だった。深海に沈んだ?ありえない。だが、それは紛れもない現実として、潜水艦にゆっくりと、しかし確実に接近してくる。乗組員たちは、恐怖と混乱に口を開けていた。辰巳は、それすらも己の栄光の証だと捉えた。「宇宙の神秘に触れれば、俺は英雄になれる!サンプルは…そうだ、俺自身が最も価値あるサンプルだ!」佐藤は、震える声で懇願した。「艦長!逃げましょう!これは我々の手に負えるものではない!」だが、辰巳の耳には、もはや慰めも、忠告も届かなかった。

宇宙船の巨大なハッチが、ゆっくりと、しかし静かに開いた。そこから覗いたのは、異様な光景だった。無数の深海生物の死骸。それらが、無感情な機械によって解体され、分析されている。ここが、地球外生命体のサンプル収集基地であることは、明白だった。彼らは、深海生物を「サンプル」、そして我々人間を「より興味深いサンプル」としか見ていないのだ。「開けろ!接触するんだ!」辰巳は、宇宙船の開口部に向かって叫んだ。しかし、その時、宇宙船の内部から、恐るべき真空の吸引力が放たれた。船体が軋み、悲鳴を上げた。水圧が、乗組員たちを容赦なく押し潰していく。吸引力は、彼らを、ただの「サンプル」として、無慈悲に吸い上げていくのだ。肉が裂け、骨が砕ける音が、深海の静寂を掻き乱す。

宇宙船は、まるで子供の玩具を弄ぶかのように、「ネプチューン・アイ」を掴み、内部の生命体を無造作に吸い上げていった。辰巳は、己の保身のために脱出ポッドへと必死に這いずり回ろうとした。だが、パニックに陥った乗組員たちの濁流に飲まれ、船体の一部と共に、深淵へと引きずり込まれていく。佐藤は、破壊された通信機を握りしめ、ただ虚空を見つめていた。「もっと…私を分析してください…」言葉にならない、絶望の囁きが、深海に吸い込まれていく。宇宙船は、潜水艦の残骸を、乗組員たちの断末魔の悲鳴を、まるで心地よい音楽のように奏でながら、静かに深淵へと消え去った。残されたのは、絶対的な宇宙の沈黙だけだった。そして、深海に沈む残骸からは、人間の欲望の残骸が、冷たく光る星屑のように、嘲笑うかのように漂っていた。

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